02日 12月 2019
今回も小論文の模範解答例を書いてみました。順天堂大学医学部の問題です。「写真を見て感じたことを書く」という珍しい形式のものです。 今回留意した点は、次の通りです。 ①医学部からの出題であるため、自身の倫理観を常識的に示す。 ②写真に写っているものを抽象化して考える。 ③抽象化したものから演繹して独自性を出す。 それでは、どうぞ。 問...
19日 11月 2019
問 子どもの頃に遊んだ『かくれんぼう』は、大人になると遊ばなくなる。なぜなのか。考えるところを601字以上1000字以内で論じなさい。 解答例...
13日 11月 2019
今回は「日本的教育」についての小論文の模範解答例を書いてみました。論述式もしくは口頭試問がメインのプラハと比べて、日本の教育では知識が断片化されているのではないか、というのが課題文(著作権の都合上省略)の概略です。 問1...
04日 9月 2019
今回も東大の後期日程の小論文の模範解答例を書いてみました。現在は東大は後期日程を廃止していますが、現代にも通じるテーマだったので扱いました。一言でいえば「全体主義と個人主義の相克」といったところでしょうか。個人が権利を主張しすぎると、社会全体のことを顧みなくなるのではないか、という考え方は日本国憲法制定時からあったようです。それについて考えてみました。著作権の関係で課題文は掲載できないことをお断りしておきます。 次の文章は、日本の代表的な憲法学者であった宮沢俊義が「憲法改正と家族制度」と題して1954年に書いたものである。そこで述べられている「家」をめぐっての考え方の対立は、何に由来していると筆者は考えていますか。また、あなたの見るところ、この対立は、今日の日本社会においてどのような状況にあると思いますか。具体的な例を挙げながら論じなさい。(解答は1200字以内とし、句読点も1字として数える。) (課題文は省略) 筆者は、「家」をめぐっての考えの対立は、民主主義が要請する個人主義をどのように捉えるかということに由来すると考えている。すなわち、個人主義を、民主主義の根幹をなすものと捉えるか、個々人が勝手気ままに自由を謳歌することを保障するだけのものと捉えるかが対立している。この対立は、今日の日本社会の中でどのような状況にあるか。私の考えを述べる。 個人主義の捉え方から生じる対立は、日本が国家としてどのような針路を歩むべきかという議論が迷走していることにより、激しさを増している。日本社会の成熟に伴い、政治家や官僚組織が国民を一つの方向に向けさせることができなくなっている。個人主義は、国民が単一の目標に向かうことができないことの原因として挙げられることすらある。これまでは、戦後の復興期から高度経済成長期に至るまで、経済的な発展が日本という国家の目標だった。誰もが豊かな生活を夢見ており、自分やその家族が便利なものに囲まれて生きることを目指していた。このような状況では、政府や官僚組織が国民を一つの方向に向かせるのはたやすい。経済発展を旗印にすべての政策を実施すれば事足りた。しかし、今はそうではない。物質的な豊かさが飽和状態になった社会において、誰もが他の豊かさを追い求めるようになった。自らの趣味嗜好や個人的な選好に基づいた将来設計が個々人でなされている。経済を大目標に置くだけでよかった時代は終わった。このような状況下では、個人の意思が散らばっていることが社会に直接に現れる。例えば、国政選挙においても、ひとつの政党が大多数の国民の声を代表することができていないことが挙げられる。単一政党による政治運営は困難になり、連立内閣が常態化している。これは既存の政党が多様化する国民の欲求に満足に答えることができていないことの証左である。国家としての目標を定めることもままならなくなり、進むべき道を見いだせていないのが現状だ。政治の停滞が起こっているのは個人主義が行き過ぎたためだと訴える声も少なくなく、個人主義をどう捉えるかの対立が先鋭化している。対立が激しくなっているのが日本社会の状況だ。確かに、個々人が自分の権利を声高に叫ぶだけの社会では、社会全体の方向性は見えてこないだろう。しかし、個人を基本的人権の基礎的単位として尊重するからこそ社会は成立するはずだ。近代市民社会は、前近代に見られた権力の圧政から個人を解放する営みの中で生まれたものだ。仮に社会の共通の善というものを設定し、それにより個人の権利を圧殺する社会になれば、それは全体主義に他ならない。全体主義社会において我々は人としての尊厳を奪われる恐れがあるから、全体主義を認めてはならない。個人を基にした民主主義社会が希求されるべきである。そして、権利を抑圧する方向ではなく、法の下に権利と権利との調整を行うのが、社会としてあるべき姿だと考える。 (1200字)
29日 7月 2019
今回は、かつて類別に実施されていた、東京大学の後期日程の問題を扱いました。「総合問題」に変更される前の最後の文科Ⅰ類の後期日程試験です。課題文は東京大学法学部長の著作からです。「法律政治の勉強をするために、精神的成人であること、または精神的成人になることが必要か」という問いがなされています。厳しい受験を勝ち抜こうとする受験生への、東大法学部からの挑戦状とも言えるでしょう。 課題文の全文は著作権の関係で掲載できませんので、引用という形で問題の下線部のみ記載します。 そもそもわが学部の専門とする法律政治の世界は、まさに精神的成人だけが取扱い得る世界だからである。 問 下線部に関して、法律政治の勉強をするために、精神的成人であること、または精神的成人になることが必要か、あなたの考えを1200字以内で述べなさい。(句読点も1字として数える。) 解答例 法律政治の勉強をするために、精神的成人であること、または精神的成人になることは必要だ。法律や政治の分野において求められるのはまさに精神的成人であるからだ。そもそも精神的成人とは、筆者によれば確乎たる自我をもつとともに他人の立場がわかり、独立の判断を以って協力や秩序を作り出せることだ。ここで法律や政治を考えると、これらにおいては他者と自我とをいかに峻別し、その二者の懸隔をいかに埋めるかが重要であると考える。法律とは二者間の衝突を調整するものだ。守りたい利益を明確化させ、それを守るために法律を駆使することが求められる。このときに重要なことは、事実を冷徹に分析することだ。事実の把握なくして法律の適用はできないからだ。そこには自分の私的な感情が入る余地はない。自分自身の感情を抑えつつ、事実関係を捉えることが肝要だ。これを実践するためには、他者と自分自身、すなわち自我とを明確に分けることが必要だ。自我と他者が未分化の状態では自己の勝手な思いが判断に容易に混じってしまうからだ。また、政治は国家資源の最適配分を法律の下に希求することであるから、同様のことが言える。とはいえ、単に自我と他者を分けることに徹するだけでは、法律が求める社会正義の実現は達成しえない。皆が自分自身の利益だけを求め、他者を顧みることがなければ、それは他者に対する闘争状態に陥ることを意味するからだ。ここで必要なのは他者の立場を考えることのできる想像力だ。自身の求める利益が他者の権利を侵害しないかを常に自問する姿勢が法律政治を勉強する者には求められるはずだ。それによって、法律が意図する保護すべき利益を守り、政治が為すべき全体最適を達成することができる。こういった他者に対する想像力が、自我と他者との隔たりを解消し、お互いの利益を達成することを可能にすると考える。他者と自我とを画した上で他者を慮るこういった姿勢は、現代社会においても十分に涵養しえる。確かに現代の教育機関は、筆者の言うようにモラトリアム人間を許容する社会的な機構である。一見、その中では精神的成人になれないように思われるが、実際はそうではない。学校が許す猶予は自我が不十分であることを自身に自覚させ、それ故に確乎たる自我の確立を促すからだ。学校がもたらす猶予は、経済的に自立しなければならないという強制力を排除する。そしてそれは学問に没頭し自問自答することを許す時間的猶予に他ならない。つまり、学校という社会システムは自我が未分化であると気づかせるための時間を与える装置として機能しえるのだ。それゆえ、学校は精神的成人となることと矛盾しない。むしろ学校という場でこそ精神的成人になり得るのだ。このように、法律政治を学ぶためには精神的成人となることが必要であり、そうなるためには学校が与える猶予の中で不断に自身の自我の未熟さを問うていく必要があるのだと考える。 (1200字)
22日 7月 2019
 今回は福岡歯科大学の問題を解きました。ロボットやAIとの<共存>がテーマとなっている問題です。ロボットやAIの知能が人間を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」などの話題はよく語られます。ただ、「共存」について正面から書くのはやや骨が折れるかもしれません。問題文はこちらからご覧ください(福岡歯科大学のホームページにリンクしています)。https://www.fdcnet.ac.jp/col/examinee/point <解答>  今日、目覚ましい技術革新によって、ロボットやAIの性能は従来と比べて格段に向上してきている。これらの性能はいずれ人間の知能を超えるとも言われている。こういった新しい他者との共存について、私たちはどのように考えるべきか。そもそも、共存とは、二者が互いの存在を許容し、空間を共にすることであると考える。人間の知能をロボットやAIが超えることを脅威と捉える意見もある。しかし、私たちがそれらとの共存を図るならば、脅威としてではなくむしろパートナーとして考えるべきであろう。確かに、ロボットやAIがもつ、大量のデータを記憶し演算する能力は人間では太刀打ちできないのは事実だ。だが、その能力はあくまで過去の蓄積に基づいた統計的・画一的な知能に過ぎない。これは過去の事象の組み合わせの処理である。その一方、私たち人間は、多様な情報を組み合わせてこれまでになかったものを創造する能力を有している。この営みは人間のもつ知性のなせる業である。これはロボットやAIには少なくとも現時点ではできないことだ。したがって、仮にロボットやAIが人間の知能を超えたとしても、人間が有する知的な営みとは一線を画すものなのである。その点でロボットやAIは人間を超えることはできない。したがって、ロボットやAIと人間とは活動のすみわけができるのである。それのもつ知能を有効に利用しながら、私たち人間は自らの知性を十二分に発揮できる環境をつくることができるはずだ。たとえば、医療現場でも、過去の症例の検索や最適な薬剤の組み合わせの提案はロボットやAIにできると思われるが、患者一人一人に寄り添ったコミュニケーションは人間にしかできない。ロボットやAIと人間との活動領域の区分けは他の分野においても言えるだろう。このように、社会におけるそれぞれの特性を活かした分業を行うことにより、ロボットやAIと人間とは摩擦を起こすことなく共存することが可能になるのである。 (800字)
14日 7月 2019
今回は横浜国立大学の小論文を解いてみました。人間は、互いへの不信感ゆえに連帯する孤独な存在である、という筆者の議論を要約し、「共生のあり方」について論じるものです。課題文は次のリンクをご参照ください。http://www.cybercollege.jp/ynu/index.php...
22日 5月 2019
今回は東京学芸大学の小論文です。「ひきこもり」問題の現状を説明した課題文を読み、自分の考えを述べるものです。課題文はhttp://www.cybercollege.jp/u-gakugei/index.phpからご覧ください。教育学部の問題なので、教育的観点から述べることが望ましいかもしれません。ですが、今回は「ソーシャルワークコース」対象の問題なので、社会学的視点で書いてみました。...
05日 5月 2019
今回は「少子化の問題点とその対策」について述べる問題の解答例を作成しました。...
28日 4月 2019
<問題>...

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