No.28 慶應義塾大学:平成29年法学部論述力試験模範解答

 筆者が立憲主義をどのような原則として理解しているかを次より明らかにする。我々の社会には、公と私の区分があるが、決して人間の本性にもとづいた自然なものではない。比較不能な価値観を奉ずる人々が公平に社会生活を送る枠組みを構築するために、公と私の人為的な区分を線引きし、警備するためのものである。その前提となるのは、個々人の生き方を自律的に判断する点であらゆる人の平等を認めることである。立憲主義の本当の問題というのは、人生はいかに生きるべきか、何がそれぞれの人生に意味を与える価値なのかを自ら判断する能力を特定の人間に対して否定することが、認められるかどうかである。立憲主義は、そうした扱いを許さない。

 

 次に、筆者の理解する立憲主義について、私の考えを述べる。立憲主義について正面から考えたとき、核心となるのは、自律的な生き方というものを、特定の人々に対して否定できるか、という問題である。これについて、私は否定できないと考える。そもそも、我々自然人には、憲法にも示されているように、基本的人権をもって生まれたものとして存在している。基本的人権は何人にも存在するものであって、その意味で我々は個人として互いに平等である。したがって、不当な理由をもって、その人権を抑圧するということは許されないのが当然の帰結である。

 

 ただし、ここで問題となるのは、個人の権利の衝突が生じたときの対処の方法である。我々は一人ひとりが権利を持っているがゆえに、互いの権利が衝突することは避けられないものだ。ホッブズが述べたように、これでは「万人の万人に対する闘争状態」が生まれてしまう。ここで私人間の権利の調整を図るものが、立憲主義における公と私の人為的区分である。これにより、互いの権利の比較衡量による判断や、「公共の福祉」による利害関係の調整が可能となる。筆者も述べているように、人が自律的に生きるのに必要な社会的装置が、まさに立憲主義なのであろう。

 

 そして、この立憲主義が問いかけるのが、日本という社会のあり方なのである。「愛国心」教育の問題にもみられるように、社会においては、ある考え方と、それとは違う考え方が常にぶつかり合う。ここで忘れてはならないのが、人は自分の人生を自由に生きることを平等に保障されているということだ。特定の人々を否定せず、それぞれがいかに自分らしく生きていくか、それを実現するのが立憲主義なのである。

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