No.59 富山大学2010年度人文学部後期日程模範解答例

今回は「日本的教育」についての小論文の模範解答例を書いてみました。論述式もしくは口頭試問がメインのプラハと比べて、日本の教育では知識が断片化されているのではないか、というのが課題文(著作権の都合上省略)の概略です。

 

1

 

筆者は日本の教育方法について、生徒に知識を断片的に覚えこませるものだと考えている。その上で、本来記憶は主体と知識との関係性が緊密であるほど強固になるのにもかかわらず、日本的教育はそれを許さない。そのため、人格そのものが否定されたとすら感じている。日本的教育では、知識を断片的に問うことで主観的な採点が排除され、公平性が担保されるという説明についても、単なる虚構に過ぎず、教師の怠慢であると考えている。

200字)

 

2

 

筆者は日本的教育について否定的な見方をしているが、日本的教育は否定されるべきものではないと考える。日本的教育の形式を保ちつつその中身を工夫することで、筆者の懸念は解決される。日本的教育が否定されない理由は、課題文で指摘されているように、客観的な知識を問い、それを採点することによって、採点者の主観が入らない採点が可能になるからである。学校の試験だけでなく入学試験などにおいては、採点の公平性が重要だ。なぜなら採点者のさじ加減によって受験者の点数が左右されれば、その受験者の本来の学力が測定されないことになるからである。試験の本来の目的はその時点での受験者のもつ学力を測定することにある。したがって、同じ学力を有しているならば試験の点数にばらつきがでないことが求められる。とはいえ、筆者の指摘するように、知識が断片化されてしまうと、物事が本来有していた相互の関連性が失われてしまうことは確かだ。そうなると、知識と知識とが有機的につながることによって得られるはずの相乗効果が得られないことになる。これは生徒にとって損失ではあるだろう。そのため、教師が生徒に授業をするにあたり、知識を細分化して別個のものとして捉えるだけではなく、相互に関連性をもっていることを伝えることが必要なのではないか。確かに試験においては公平性が担保されていることが重要であるから、知識を客観的に問わなければならない。しかし、教師が知識を伝達するにあたっては必ずしも客観的な知識のみ伝えればいいわけではない。それこそ機械でもできることだ。つまり、生徒の学力を測定する試験という場でなく、授業の場において、教師が物事の関連性を生徒に積極的に伝えることが重要なのだ。まさにこれが、知識をいかに伝えるか、どう定着させるかという教師の力量にかかってくる部分である。このような、知識の伝達の場での柔軟な創意工夫が教育に求められるのだと考える。

 

800字)