No.60 早稲田大学2019年度スポーツ科学部模範解答例

 

 

子どもの頃に遊んだ『かくれんぼう』は、大人になると遊ばなくなる。なぜなのか。考えるところを601字以上1000字以内で論じなさい。

 

解答例

 

一般的に大人になると「かくれんぼう」をしなくなるのは、自分たち自身を社会や他者との関係において相対化して考えるようになるからだと考える。「かくれんぼう」をして遊ぶのは、「子ども」にとっては当たり前のことだ。自分たちの遊びとして子どもたちは「かくれんぼう」をする。しかし、「大人」になるにつれて、「かくれんぼう」は「子どもの遊び」として捉えられることになる。すなわち、「かくれんぼう」は大人が「遊び」として興じるべきものではないと知らず知らずのうちに感じるということだ。ではなぜ大人になるとそう感じるのか。それはまさしく社会において自分自身が「大人」であることを認識するからだ。この「大人」と「子ども」との境界線は社会において必ずしも明確ではない。しかし、自分自身が「大人」になったという認識が存在するのは確かだ。それは生物学的な年齢から生まれるものというよりも、むしろ他者との関係性において生まれるものだ。「子ども」は学校教育や地域社会などとのかかわりを通じて、自身が社会に占める位置づけを知るようになる。位置づけとは、あるときは学生、あるときは地域の担い手というような、その社会における役割のことだ。その役割を見出すにつれ、自分自身が果たすべきこと、そして一般的に考えてするべきでないことが明確化してくる。この「するべきでないこと」に「かくれんぼう」が次第に入ってくる。社会において「大人」である自分自身が「すべきでないこと」として「かくれんぼう」はみなされるからだ。「子ども」と「大人」とが未分化な社会であれば、このようなことは生じない。自分が「大人」で、社会からある一定の期待がなされると感じる場合に、「かくれんぼう」をすることはなくなる。それはある種の「子ども」からの脱皮であるともいえる。これは「かくれんぼう」に限ったことではないが、「大人」になるには、それぞれの社会におけるある一定のプロセスを経る。そのプロセスでは、しなければならないことと、してはならないことの両方のリストが、変容しながらも常に自分自身について回る。このリストを達成してはじめて、その社会において「子ども」は「大人」になると言えるだろう。このように、社会において自身が有する位置を認識し、結果として自身を社会における「大人」とみなすようになること、それが「大人」になると「かくれんぼう」をしなくなる理由であると考える。

 

 

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