No.63 名古屋市立大学2014年度後期日程人文社会学部心理教育小論文解説と解答例

本日も小論文の模範解答例を書いてみました。今回は名古屋市立大学の問題です。論題は次の通りです。


厚生労働省は、「子育てを楽しみ、自分自身も成長する男性のこと。または、将来そんな人生を送ろうと考えている男性のこと」を「イクメン」と定義している。「イクメン」に対して、ある人は「父親は家庭の中で威厳を示すことが大切である」という意見を言い、またある人は「家事や育児は性別で特別視されるものではなく、男女がともに分担するものだ」という意見を言う。以上を踏まえた上で、「イクメン」に対するあなたの考え方を論述しなさい。(1,000字以内)

「育児における協力の在り方」は社会科学系の小論文でよく出題されるテーマです。今回は厚生労働省の定義する「イクメン」に対する考え方を問われています。今回の留意点は次の通りです。

①「子育てに男性が関わること」の是非について問われているわけではない
②答えなければならないのは「イクメン」が表す社会通念や社会課題である
③「イクメン」の背後にある社会通念を一般化し、それへの考え方を書く

この論題を見ると、「子育てに男性が関わるべきか」という「是非」が問われているように思いがちですが、違います。この問題文の構造を抽象化すると次のようになります。

命題:「イクメン」についてどう考えるか
命題に対する意見A:「父親は家庭の中で威厳を示すことが大切である」
命題に対する意見B:「家事や育児は性別で特別視されるものではなく、男女がともに分担するものだ」

このように抽象化したとき、意見A及び意見Bは、「命題への意見の一部」であることに気付くと思います。

…「イクメン」に対して、ある人は「父親は家庭の中で威厳を示すことが大切である」という意見を言い、またある人は「家事や育児は性別で特別視されるものではなく、男女がともに分担するものだ」という意見を言う。…

このように、問題文が「命題について、ある人はAと言い、またある人はBと言う」という構成になっています。したがって、この問題では「意見Aか意見Bのいずれかの立場を選択せよ」とは言われていないことになります。

また、「父親の威厳を示す」と「男女が家事や育児を分担する」とでは「議論の階層」が異なることもわかります。「議論の階層が異なる」とは、たとえば「あなたは「羅生門」とスポーツのどちらが好き?」といった質問において「羅生門」と「スポーツ」とが同一の階層で議論できないといったようなものです。この例文の場合「あなたは読書をするのとスポーツをするのとではどちらが好き?」と質問するべきなのです。このように、意見Aと意見Bとでは議論の階層が異なるため、同一直線上で議論してはならないのです。したがって、解答者が求められているのは、「命題(=「イクメン」)について、意見Aや意見Bなどもあるが、あなたは命題そのものについてどう考えるか」ということなのです。

以上のことから、解答者は命題、すなわち「イクメン」について考えるわけですが、それにあたっては「イクメン」という言葉がなぜ生まれたのか、という観点から私は書きました。「イクメン」という言葉について論じるのはあまりにも表層的です。そして、厚生労働省が定義しているからには、何らかの社会的意義を有する言葉であるはずです。その社会的意義を考察するのが、今回の問題で問われていることだと考えました。前置きが長くなってしまいましたね。

それでは、どうぞ。


厚生労働省は、「子育てを楽しみ、自分自身も成長する男性のこと。または、将来そんな人生を送ろうと考えている男性のこと」を「イクメン」と定義している。「イクメン」に対して、ある人は「父親は家庭の中で威厳を示すことが大切である」という意見を言い、またある人は「家事や育児は性別で特別視されるものではなく、男女がともに分担するものだ」という意見を言う。以上を踏まえた上で、「イクメン」に対するあなたの考え方を論述しなさい。(1,000字以内)

解答例
 子育てに関して、「イクメン」という、男性に限定した言葉が存在すること自体が、現代の日本社会において「家庭での性別による分業」がなされていることを示していると考える。

 たとえば、「イクメン」に相当する、女性に限定した同様の言葉があるかというと、少なくとも行政レベルでは定義されていない。このことは、「子育て」の役割が女性に限定されているという前提が、暗黙のルールとして日本社会に厳然として存在することを意味していると考える。仮に子育てが性別に関係なく行われるものであるという共通認識が社会で確立しているならば、あえて「イクメン」といった言葉を定義する必要がないからだ。

 このように、日本社会では性別による分業が暗黙のうちに行われていると理解することが必要だ。「父親が家庭の中で威厳を示すべきだ」とか「家事や育児は男女がともに分担するべきだ」といった、「イクメン」に対する意見は多様に存在する。しかし、それらの前提として、子育てが女性に限定されているという社会通念が多少なりとも存在することが認識されなければならない。そうでなければ、「イクメン」という言葉に振り回されて、「男性」と「女性」という性別に囚われた議論に終始してしまうからだ。

 本来的に我々が考えなければならないのは、養育される対象である子どもたちが、それぞれの能力や特性に応じて望ましいかたちで成長できるかどうかということだ。子育ての中心には子どもが存在することは自明である。それなのに、我々は子ども不在の「子育て」の議論を展開してはいないだろうか。現代社会では、父親の役割とか母親の役割といったものは、家族構成の多様化により固定できないものになっているはずだ。ただ、育てるのが誰であろうと、子どもが健やかに育つことが「子育て」の目的であるはずだ。したがって、子どもに焦点をあてないままの議論に意義はないと考える。社会全体として、子どもたちにどのように育って、どのような大人になってほしいのか、その点を考えることが「子育て」の議論の本質であるはずなのだ。

 「イクメン」という言葉が示すのは、その背景に存在する、家庭での性別による役割分担に対しての暗黙裡の社会的了解である。そのような旧態依然とした前提を見直すことが日本社会に第一に求められることだ。それを立脚点として、子どもがいかに育つのが望ましいかという議論を積み重ねることが重要であると考える。
(1000字)