No.69 倉敷芸術科学大学芸術学部2016年度小論文解説と模範解答例

今回は倉敷芸術科学大学芸術学部の問題です。論題は次の通りです。

今日、仏像は美術館や博物館に展示されたり、美術番組で取り上げられたりすることが多いが、「仏像」は美術品なのか、人の心のあり方も含め、あなたの思うところを800字以内で論述せよ。

(‘16倉敷芸術科学大学推薦入学試験B方式 芸術学部デザイン芸術学科・メディア映像学科)

確かに、「仏像」は「美術品」として展示され、テレビなどでも特集されますよね。とはいえ、「仏像」は仏教における宗教的なものでもあります。「仏像」が「美術品」として捉えられるのか、それが今回の問題で問われていることです。本問の《留意点》は次の通りです。

《留意点》
①「美術品」の自分なりの定義を行う
②「人の心のあり方」を必ず答案に含める
③なぜ「仏像」が問題として取り上げられたのかを考察する

①「美術品」の自分なりの定義を行う

小論文においては、意味があいまいな言葉をあいまいなままで使用するのは避けるべきです。人によって捉え方が異なる言葉については、自分なりの定義を示さなければ、議論が漂流する危険性があるからです。あいまいな言葉の意味を、採点官と共有することが必要です。これは大学というアカデミズムの世界で必要不可欠なことです。

②「人の心のあり方」を必ず答案に含める

問題文が指定する、解答する際の条件には常に従わなければなりません。問題文の指示に従わない答案は入試において不適格です。それと同時に、相手との共通のルールを守ることができない、またルールを読み取れないものとして扱われます。それではいかなる社会でも通用しないことは明らかでしょう。したがって、本問の指示にある「人の心のあり方」は含めなければなりません。「心のあり方」とは、その人がどのような心境にあるかということや、いかなる精神性をもっているかということを意味すると考えてよいでしょう。それをどのように「仏像」に組み合わせるかが重要です。

③なぜ「仏像」が問題として取り上げられたのかを考察する

本問で題材になっているのは「仏像」です。なぜ「仏像」なのでしょうか。まず一つには、「仏像」は「宗教性」を含むことが理由としてあるでしょう。「仏像」は宗教に関するものであって、しかも崇拝の対象でもあります。それを「美術品」として扱っていいのか、まずはその点の理解と見識が問われています。一方で、本問の題材は、キリスト教における十字架など、他の宗教における偶像でもよいはずです。もしくはトーテムポールなど、その民族特有のものでもよかったでしょう。それを「仏像」にしたのは、私たちが「仏像」に大なり小なり「親しみ」をもっているからだと考えます。そして、出題者は、解答者に、その「固定観念」を打破してほしいと思ってこの論題を出題したのではないでしょうか。「仏像」は宗教的なものであれば、美術的なものでもあるということに思いを馳せてほしいのでしょう。そして、本問においては、さらに「美術or宗教」という二項対立的な見方を排した、客観的なものの見方を試していると考えます。私たちは「仏像」に「親しみ」があるがゆえに、それを自分たちの文脈で語りがちです。おそらくこの問題の答案は「仏像」に対する先入観の混じったものが多かったと推察します。出題者が「仏像」を題材にした理由はここにあります。すなわち、「仏像」に対するバイアスを取り除いたニュートラルな視点で「仏像」を観察せよ、ということです。解答例ではその点も意識してみました。

それでは、どうぞ。


今日、仏像は美術館や博物館に展示されたり、美術番組で取り上げられたりすることが多いが、「仏像」は美術品なのか、人の心のあり方も含め、あなたの思うところを800字以内で論述せよ。

(‘16倉敷芸術科学大学推薦入学試験B方式 芸術学部デザイン芸術学科・メディア映像学科)

解答例
 「仏像」は美術品として存在し得るが、「美術品」としてしか存在し得ないものではない。「仏像」は文字通り仏の姿をかたどったものだ。仏は仏教における尊崇の対象だが、それを具象化した「仏像」は「美術品」なのか。

 「美術品」とは、「美しい」とみなされる個々の有体物を指すと考える。何が「美しい」かは、人それぞれの感性により異なる。しかし、「美しい」と思う人が多いほど、それは「美しいもの」として一般に認められる可能性が高くなるはずだ。

 では仏像が「美術品」かという問題は、「仏像」を見る者がそれをいかに捉えるかに左右される。すなわち、仏像を見る者の心のあり方によって、仏像が「美術品」なのか、それとも別のものなのかが決まるということだ。たとえば、仏教徒であれば、仏像は崇拝の対象であるのは当然だ。一方で、仏教徒ではないという理由で仏像を宗教的なものと捉えない人々がいるのも自然である。時には、仏像は宗教的なものだと知られぬまま、単なる「置物」と捉えられることもあるだろう。また、同じ者であっても、仏像をいかなる眼差しで見るかが、その時々の心のあり方によって変わる。普段は仏像に対して関心を抱かなくとも、あるとき仏道に目覚め仏像を崇めることもありえる。

 このように、仏像は、見る者の心のあり方によって捉えられ方が異なるのだ。仏像が「美術品」としてみなされることが多々あるのは、取り上げられる仏像の造形美と、仏像を作成する者の宗教的な畏敬の念とが、多くの人の心を打つからである。仏像自体は、様々な宗教的な文脈でも、美術的な文脈でも語り得るものだ。どの文脈を選ぶかは、語る者の仏像への眼差し、すなわち心のあり方によって変わる。「仏像」に対する捉え方は、見る者の内心の状態に他ならない。「仏像」とは、それが美術品か否かということで議論が終わるものではない。むしろ、それを見る者の眼差しそのものを映し出す鏡のような存在なのだ。
(800字)