当塾では、小論文の指導にあたって、「ディスカッション」を重要視しています。「ディスカッション」とは、そのときの小論文のテーマについて、受講生と私が議論をして考えを深めていく過程のことです。これにより、受講生が自分で考える習慣がつき、また深い知識を得ることが期待できます。
これだと抽象的なので、実際に今年指導した生徒とのディスカッションを再現してみます。この生徒は都内の大学の法学部志望の高校3年生です。では再現をどうぞ。
講師(以下「T」):今回は「法律を学ぶ者に必要な資質とは」という論題だったけど、どうだった?
生徒(以下「S」):これまで考えたことのないテーマだったので苦労しました。法律を学ぶには、いろんな観点が必要なんですね。
T:法律を学ぶ、って話してもらったけど、そもそも「法律」って何なのだろう?もっと言うと、「法律」って何のために存在すると思う?
S:えっと、法律も、広く言うと憲法とかいろんな法律がありますよね。うーん、政治や社会をうまく回すためにあるんじゃないでしょうか。
T:厳密にいうと、憲法は「法律」の上位にある別のものだから、それは覚えておいてね。それはおいておいて、「社会をうまく回す」ってどういう意味?
S:「社会をうまく回す」…世の中の制度や仕組みがうまく機能して、問題なくみんなが生活できることだと思います。
T:そうすると、法律、広く言えば「法」の目的って何なのだろう?制度や仕組みが第一の目的なのかな?
S:いえ、そうでなく、社会に生きる私たちが、支障なく生きることができることを目指したのが「法」だと思います。
T:では、ぼくたちが「支障なく生きる」には何が必要だと思う?
S:そうですね…私たちが「イヤだな」と思うことがなければいいと思います。
T:具体的には?
S:たとえば、犯罪とか、いじめとかがなければいいのかなって。
T:それを一言でいうとどう表現できるかな?
S:ちょっとわかりません。
T:犯罪やいじめがない状態は、「正義」が実現されている状態、と言えるよね。基本的には、法が追求するものは「正義」だと言われることが多いから、覚えておこう。
S:はい。わかりました。
T:じゃあ、別の問題として、「正義」って何だと思う?
S:え、犯罪やいじめがない状態のことじゃないんですか?
T:それは「正義が実現された状態」であって、「正義そのもの」ではないよ。ぼくが聞いているのは「正義とは何か」という問題だよ。
S:…「正義」というのは、私たちが考える「悪」が存在しないことを追求することだと思います。たとえば、犯罪やいじめは「悪」の一例だと思います。
T:なるほど。ではたとえば「ぼくが考える正義」と「あなたが考える正義」とは完全に一致するかな?
S:いえ、完全には一致しないと思います。
T:そうだね。ということは、極端な話をすると、「他者に危害を加えることが正義である」と考えている人がいたとして、それも「正義」のひとつになるよね。これは認められるかな?
S:認められないと思います。
T:なぜ?
S:他者に危害を加えることは、周りの人たちにとっての「正義」ではないからです。いくらその人の「正義」だとしても、周りの人の「正義」を侵害してはいけないと思います。
T:なるほど。あなたの考えによると、「社会一般の正義」というのが考えられそうだね。
S:はい。
T:じゃあ、その線引きってどうするかな。つまり、「正義」と「正義でないもの」を誰がどうやって判断できると思う?
S:うーん、それは国家が決めるのではないでしょうか。選挙で選ばれた人々が決めることになるからです。
T:そうだね。民主主義においては、正当な選挙によって選ばれた議員が議論を重ねて、法律を作るね。それが「社会一般の正義」と言えそうだよね。そういった意味で、「法の追求するものは正義である」という考え方もできるよね。
S:なるほど、わかりました。
このようなディスカッションを私の予備校では毎回行っています。重視しているのは次の点です。
①受講生が曖昧に理解していることを明確化する
②言葉の定義を明確化して、その後に質問を続けていく
③相手の理解度を見つつヒントも与えるが、基本的には自分で考えてもらう
これらを踏まえてディスカッションを行うと、自分がいかに曖昧に物事を理解していたかがわかります。日々の生活の中でも、物事を深く考える習慣がつくようになります。こういった日々の鍛錬が、小論文を書く上での土台になると考えています。